「知の巨人」として知られるジャーナリストで評論家の立花隆(たちばなたかし)さんが亡くなりました。
立花隆さんと言えば、政治・経済だけでなく宇宙や医療など、多岐にわたり様々なテーマで執筆し、多数のベストセラーを生み出した人物です。
また立花隆さんは、田名角栄研究でも有名ですよね。
今回は、「立花隆(田中角栄研究)の学歴経歴は?声優もしてた?結婚した妻と息子は誰?」と題しまして、天才と異端児のはざまで生き抜いた「立花隆」さんの学歴や経歴、また結婚はしていたのか、妻や息子は誰なのかについても調査してみました。
立花隆(田中角栄研究)の学歴経歴は?
ジャーナリストとして知られている立花隆さんですが、ジャーナリストとして活動を開始する以前は数々の執筆活動をしていました。
中でも知られているのが「田中角栄研究」ではないでしょうか。
1974年、月刊「文芸春秋」に「田中角栄研究 その金脈と人脈」という執筆文を発表しました。
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これは、田中角栄氏が退陣するきっかけとなったことで有名です。
立花隆さんは、当時、首相だった田中角栄氏の政治手法を入念な取材と裏付け調査で明らかにし、これにより田中角栄氏を退陣に追い込むことになりました。
この記事は「調査報道の先駆」「雑誌ジャーナリズムの金字塔」として高く評価されたと言われています。
立花隆の学歴・経歴
*本名:橘隆志(たちばなたかし)
*出身地:1940年5月28日長崎市生まれ(両親はクリスチャン)
*高校:東京都立上野高等学校
*東京大学文学部仏文科卒
*文芸春秋に入社(雑誌記者として活躍)
*1966年に退社→フリーライターとして活動開始
*1967年東京大学文学部哲学科に入学→中退
田名角栄氏を脱却させたともいわれている「田中角栄研究」
この調査をするということは、決して楽な作業ではなかったといいます。
34歳にして、一人で日本の最大権力者と闘っていた立花隆さん。
その原動力はこれだったそう。
「自分は、あんなやつらに負けてたまるか、というのが原動力です。あんな奴らとは、田中角栄とそれを支えるすべての人間。積極的な加担者だけでなく消極的に言いなりになった加担者も含めて、全部敵だ」
この気持ちがすべてだったといいます。
こうして世の中を正しい方向へと導いたと思われる立花隆さんですが、このような活動の反対側で必ず悲しむ人、傷つく人がいるのもわかっていたそう。
田名角栄氏の愛人だった佐藤昭さんの娘、あつ子さんは、以前立花隆さんに会いに来たそう。
愛人とはいえ、父を脱却させ、母をしに追いやった立花隆さんを決して恨んでいるわけではないと伝えに来たと言います。
あつ子さんからの質問の中にこんなものがあります。
あつ子:「田中角栄は、オヤジは、どういう人だったのでしょう」
立花:「私も年をとり、歴史を勉強して、あの人はなかなかの人だったなあという気がします」
あつ子:「その一言で十分です」
当時は対立し脱却させたけれども、田中角栄氏の力の大きさ・能力の高さ・人間力の深さを認めていたのだそうです。
立花隆さんの人気著書をご紹介します。
<宇宙からの帰還>
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<死はこわくない>
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立花隆は声優もしてた?
立花隆さんといえば、ジブリ映画「耳をすませば」でで主人公・月島雫の父親役で声優デビューをしたことでも有名です。
これは、宮崎駿監督の熱烈なオファーがあったといいます。
宮崎駿監督は『耳をすませば』の父親役に対して”現代の父親像”を求めていたそうです。
「役者さんだと、いわゆる”お父さん”になっちゃう。昔の一家の大黒柱のお父さんと違い、現代のお父さんはお父さんであって、お父さんでない。自分の好きなことをやってる存在感がほしい」
との思いで、立花隆さんを起用したそうです。
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立花隆と結婚した妻と息子は誰?
立花隆さんは結婚の経験があります。
これは、立花隆さんの著書で明らかになっています。
結婚し、息子が一人いますが、その妻とは離婚しているそうです。
別れた妻は橘雅子さん。津田塾大学卒の翻訳家。
2000年に癌で死去されています。
立花隆さんとの間に一人男の子がいるようですが、結婚して5年で離婚しています。
妻の雅子さんは、一人で息子を育てあげ、息子が就職したのち、イギリスに留学したそう。
もう一度人生をやり直したいという気持ちがあったといます。
このイギリスロンドンで、『女50歳からのわたし探しのロンドン留学』を執筆。
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この執筆後帰国し、肺がんを患い死去しました。
妻の雅子さん執筆の中に、『飛鳥への伝言―がん宣告の母から息子への50通の手紙』という闘病記があり、これは愛する一人息子のために残したものとも言われています。
闘病中は立花隆さんも病院に同行するなど元妻の雅子さんを支え、その最期も看取ったそう。
立花隆さんの人間的な一面が見れる部分ですよね。
その後再婚したかについては未定です。
猫ビルとは?
立花隆さんは、書斎兼書庫として立花隆事務所を持っていました。
これが、通称「猫ビル」です。
なぜ「猫ビル」と呼ばれるのかというと、壁面に巨大な猫の顔が描かれているからです。
立花隆さんは、大の猫好き。
なんだか可愛らし一面ですよね。
猫の顔は、1991年に島倉二千六(しまくらふちむ)さんが描いたもので、地上3階地下1階建てで、地下にはワインセラーがあるそうですよ。
住所は「東京都文京区小石川2の18の12」。
ワイン好き、猫好きの立花隆さんにとって、安らぎの場所だったのではないでしょうか?
まとめ
今回は、「立花隆(田中角栄研究)の学歴経歴は?声優もしてた?結婚した妻と息子は誰?」と題しまして、天才と異端児のはざまで生き抜いた「立花隆」さんの学歴や経歴、また結婚はしていたのか、妻や息子は誰なのかについても調査してまいりました。
改めて立花隆さんのご冥福をお祈りいたします。