村木賢吉の現在【おやじの海】原因不明の病で歌の活動は?経歴まとめ!

村木賢吉の現在【おやじの海が大ヒット】の記事に使用の写真です。

村木賢吉(むらき・けんいち)さんが死亡していることがわかりました。

88歳でした。ご冥福をお祈り致します。

村木賢吉さんの通夜は近親者飲みで営まれ、喪主は妻である愛子さんだったそうです。

村木賢吉さんといえば、独特の歌唱の楽曲、「おやじの海」が思い浮かばれます。

そんな村木賢吉の現在や、経歴、原因不明の病で歌手活動はどうしていたか?

それらを含めてまとめてみたいと思います。

村木賢吉の現在は?

村木賢吉さんは2021年6月19日に誤嚥性肺炎で死亡。

お亡くなりになるまでは、

2007年頃まで民謡教室を主宰する傍ら、歌手活動を続けていたようです。

しかし、2007年以降は原因不明の病で高音声域の声が出なくなってしまい、以後は歌手活動を停止していたようですね。

村木賢吉の経歴は?

村木賢吉さんは日本の男性演歌歌手として活躍。

秋田県鹿角市の出身で、晩年は静岡県に身を構えていました。

父親が三菱金属鉱業

村木賢吉の父親は三菱金属鉱業に働いており、村木賢吉さんは父親の会社に入社しました。

村木賢吉さんは、1967年に尾去沢鉱山から直島製練所に転勤します。

直島製練所にて、直島出身の佐義達雄さんと意気投合し、1972年真木島人(まき・しまんど)の芸名で楽曲を出すが一部に注目されるだけで終わってしまいます。

1972年、再び、佐義達雄さん作曲作詞の「おやじの海」を500枚自主制作。

その後「おやじの海」は当人ですら存在を忘れかけるくらいだったそうです。

おやじの海が大ヒット

存在を忘れていた「おやじの海」ですが、

4年後の1977年に、北海道釧路市の有線放送から人気が出ます。

その後火がついて、数ヶ月で全国に拡大!

1979年におやじの海は大ヒット曲となりました!

47歳で新人歌手

おやじの海のおかげで、47歳で新人歌手デビューを果たします。

47歳の新人歌手ということで、各方面から注目を浴びたようで、140万枚以上のセールスを記録しました。

歌手としての受賞は以下の通りです。

  1. 全日本有線放送大賞・最優秀新人賞。佐義達雄さんも日本作詞大賞大衆賞受賞。
  2. 第21回日本レコード大賞では企画賞(1979年・大賞はジュディ・オングの「魅せられて」)

NHK紅白歌合戦の出場は果たせませんでしたが、1979年には、父の会社である三菱金属鉱業を退社し、歌手に専念します。

すごいですね。

会社勤めと歌手活動を並行していたのですね。

その後、前述しましたが、2007年頃まで民謡教室を主宰するも、原因不明の病で高い音域の声がでなく歌手活動を停止していました。

村木賢吉の歌が素朴で素敵

村木賢吉さんの歌、そういえば、父親や祖父(本記事の執筆者の)が歌っていました!

村木賢吉さんの歌、懐かしいです!

父親や祖父がよく歌っていたので、当時幼少だった私も「おやじの海」を覚えてしまったのでした!

元気だった父親や祖父を思い出して、なんだか会いたくなりました。

村木賢吉が死亡で世間の反応は?

  1. 又一つ、昭和が遠のいてしまい、寂しい限りです。
  2. 「おやじの海」はなんともいえない日本演歌の本質を持ってるような曲ではないだろうか。
  3. 「おやじの海」はこれからも歌われ続けられていく名曲、名演歌の一つといえるのではないだろうか。
  4. 幼心に、村木さんの包み込まれるような温かい歌声が、良いなあ〜って思いました。
  5. おやじの海は、外国人にも人気が高いと聞いたことがある。

村木賢吉さんのおやじの海は、多くの方に慕われていたのですね。

おやじの海が大ヒットの村木賢吉が死亡

村木賢吉さんがお亡くなりになることは寂しいことです。

しかし、昔の懐かしい思い出を振り返る機会にもなり、不謹慎かもしれませんが、少し温かな気持ちにもなりました。

きっと多くの方々の心に、村木賢吉の歌「おやじの海」は残り歌い継がれていくと思います。

今回の記事はここまでとなります。

最後までお読みいただきありがとうございました。