サイパンから北へ約150キロの場所に「アナタハン島」があります。
現在も存在しているその島で起こった「アナタハンの女王事件」は、敗戦秘話として今も語り継がれています。
孤島に取り残された32人の男と1人の女の共同生活の中で、複数の男性が死亡し行方不明になったと言われています。
そこで今回は多くのなぞが残るアナタハンの女王比嘉和子さんの晩年や夫や子孫・死因についてまとめました。
最後には、現在のアナタハン島の画像も紹介します。
比嘉和子の晩年!アナタハン島生存者和子のその後
多くの謎を残す「アナタハンの女王事件」が、2022年6月15日放送の「ワールド極限ミステリー」で取り上げられます。
南海の孤島に残された女1人と男32人 愛のバトルロワイヤル!!『ワールド極限ミステリー』6/15(水)【TBS】
https://t.co/ewxAw9o0em pic.twitter.com/ePdZg460ak— TKHUNT.COM (@iTKHUNT) June 10, 2022
アナタハン島からの生存者である比嘉和子さんはその後、どんな人生を送ったのでしょう。
比嘉和子さんがどんな晩年を過ごしたのか気になったので調べてみました。
「アナタハン島女王事件」の概要
第二次世界大戦末期に、南洋興発社員の妻である「比嘉和子[2]」と、同社員の男性上司の菊一郎(ともに沖縄出身)、爆撃を受け沈没した徴用船3隻の船員(軍属)と乗り組みの海軍兵士、島に居合わせた陸軍兵士ら男31人(日本人で多くが10~20代の若者)が合流し、島に派遣され南洋興発からの物資を受けつつ、昔からの島の住人と自給自足に近い共同生活を送っていた。
出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
比嘉和子さんの夫や菊一郎さんの妻子は、それぞれ島を離れていたため、2人は夫婦を偽った方がいいと判断し男たちから離れた所で同居をしていました。
男たちもそれぞれ暮らしていましたが、そのうち和子さんを巡って争いが始まりました。
最終的に13名の男が、不可解な死や行方不明となっています。
比嘉和子の晩年
最近のテレビでよく見るフワちゃんという人に抱いていた既視感の正体が、アナタハン島事件の比嘉和子さんだということに気づいたので、ここにご報告いたします。 pic.twitter.com/SqOyRZ5hS2
— 賀々贒三(加賀賢三) (@catme05) February 10, 2020
比嘉和子さんが日本に帰還したのは28歳の時です。
亡くなったと思っていた夫は生きていて、再婚し新しい妻子と暮らしていることを知ります。
事実を知った比嘉和子さんは、どんなに辛かったかと想像しますが強い女性なんですね、夫には頼らず自ら生計を立てるために働きます。
比嘉和子さんがした仕事は・・・
- 小料理屋(複数かけ持ち)
- カフェ「アナタハン」の経営
- 浅草ストリップ劇場で舞台に立つ
- 名護市でたこ焼き屋(夏場はかき氷屋)経営
比嘉和子さんは、常に世間やマスコミから「アナタハンの女王」と呼ばれ、好奇な目で見られていたそうです。
様々な仕事をし1人で懸命に生きてきた比嘉和子さんですが、2人の子どもがいる男性と出会い再婚します。
名護市に開店したたこ焼き屋は、再婚相手と共に開いたお店です。
比嘉和子さんは2人の連れ子との関係も良好で、幸せに暮らしていたんだとか。
人生の最後は、温かい家族に囲まれ幸せだったようですね。
アナタハン島事件の比嘉和子の2人の夫
1人目の夫は「比嘉正一」
比嘉和子さんの1人目の夫は「比嘉正一」さんです。
夫の正一さんは、島を出て行方不明になっていたと言われていましたが、実は既に日本へ帰国していたそうです。
正一さんは、アナタハン島がアメリカ軍によって攻撃された際、和子さんが亡くなったと思っていたとか。
だから、他の女性と再婚してしまったんですね。
戦争の混乱の中では、お互いの消息もわからず心配で不安だっただろうと想像します。
2人目の夫は「子連れの男性」
比嘉和子さんの2人目の夫の名前はわかりませんが、2人の子供がいる男性ということです。
比嘉和子さんが34歳の時に出会い再婚したそうです。
この頃の比嘉和子さんは、ストリップ劇場の舞台に立ち「アナタハンの女王」と世間でも有名な人でした。
そんな敬遠してしまいそうな女性を選び、再婚した夫の包容力の大きさを感じます。
辛い日々を過ごしてきた比嘉和子さんですが、最後は素敵な男性と再婚でき幸せでしたね。
比嘉和子の子孫と妊娠
代わる代わる性の対象とされた比嘉和子さんですが、なぜ妊娠しなかったのでしょうか。
実は比嘉和子さん、正一さんとの間にお子さんを授かったことがありました。
しかしアメリカ軍による空襲のショックで流産してしまい、それから妊娠できない身体になってしまったと言われています。
ですので、比嘉和子さんと血がつながっている子孫はいないということになります。
比嘉和子の死因
比嘉和子さんは50歳で亡くなっています。
死因は「脳腫瘍」だと言われています。
1974年(昭和49年)3月、脳腫瘍を発症した比嘉和子さんは50歳という若さで波瀾万丈な人生を終えました。
アナタハン島 現在の画像
アナタハン島は活火山です。
火山活動の影響で、数十人程度いる住民もサイパンなどでの避難生活を余儀なくされているんだとか。
観光は難しそうですね。
昭和を振り返る画像。
『『アナタハンの女王事件』の舞台となった孤島・アナタハン島』
プロフィールは→https://t.co/CFMwKUX7VR#昭和#歴史#その他 pic.twitter.com/BOGE2gNKXS— 昭和平成ガイド (@showa_g) June 3, 2022
【マリアナ群島・アナタハン島】1945年~50年にヤシ農園の管理者と漁船大破で漂流してきた男たちが住んだ地。1人しかいない女性を巡って32人の男性が争い、相次いで不審死をとげた事件があった島。桐野夏生の小説「東京島」のモデルとなった pic.twitter.com/67rRdDIwCq
— B面 (B級スポット・珍スポットガイド) (@bii_men) November 18, 2021
まとめ
サイパンから北へ約150キロの場所に「アナタハン島」があります。
その島で起こった「アナタハンの女王事件」は、複数の男性が不可解な死をとげ、行方不明者も続出したと言われています。
そこで今回は多くのなぞが残るアナタハンの女王比嘉和子さんの晩年は幸せだったのか、夫や子孫・死因についてまとめました。