澤田瞳子さんが第165回直木賞に選ばれました。
今回、5回目のノミネートでの受賞です。
澤田瞳子さんは作家澤田ふじ子さんの娘さんでいらっしゃいます。
今回は、澤田瞳子さんの経歴や顔画像、作家になったきっかけなどを調べてみたいと思います。
澤田瞳子(とうこ)さん顔画像や経歴!
1977年生まれの澤田瞳子さん。
京都府の出身です。
第165回直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が14日、東京都内で開かれ、福岡出身の #佐藤究 さん(43)の「テスカトリポカ」と、 #澤田瞳子 さんの「星落ちて、なお」が選ばれました。#直木賞 に佐藤究さんと澤田瞳子さん | 毎日新聞 https://t.co/EQgmQCPb80
— 毎日新聞小倉報道部 (@mainichi_kokura) July 14, 2021
写真右側の女性が澤田瞳子さんです。
同志社大学を卒業し、そのまま同志社大学の博士前記課程へ。
専門は文学です。
これまでの作品は、こちらです。
2010年に長編作品『孤鷹の天』でデビューし、同作で中山義秀文学賞を受賞。12年『満つる月の如し 仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞、13年新田次郎文学賞受賞。15年『若冲』で、直木賞候補、翌16年に親鸞賞を受賞。17年刊の『火定』で吉川英治文学新人賞候補および直木賞候補。19年『落花』で、山本周五郎賞候補および直木賞候補。20年『能楽ものがたり稚児桜』で直木賞候補。20年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞受賞。引用元:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000085.000043732.html
これまで、歴史小説を書かれてこられた澤田さん。
これまでにも5回、直木賞候補になられているだけあって、これまでにも様々な作品を世に発表されています。
そして、これまでにも作品が様々な賞を受賞されています。
5回候補になりながら、いつも受賞を逃していただけに、今回の直木賞受賞は感慨深いものになったのではないでしょうか。
澤田瞳子さんがご結婚されているのかどうかは、確定情報は見つけることはできませんでした。
澤田瞳子(とうこ)さん作家になったきっかけを調査!
澤田瞳子さんの母親は、作家の澤田ふじ子さんです。
時代小説家の母の血を引き継がれたのか、瞳子さんも歴史小説を主に書かれてこられました。
作家になったきっかけとして、お母様の影響などと直接に書かれているものは見かけませんでしたが、幼少期から物書きの母親が身近にいらしたことが、瞳子さんが作家になられたことに影響を及ぼしているのだろうと思われます。
星落ちて、なお
今回、受賞されたのが、こちら「星落ちて、なお」です。
あらすじは、こちらです。
明治22年、自ら「画鬼」と称した不世出の絵師、河鍋暁斎が死んだ。暁斎の門下で、ずっと身のまわりの世話をしていた娘のとよ(暁翠)に対し、早くから養子に出され家を出た腹違いの兄・周三郎(暁雲)は、事あるごとに難癖をつける。絵の道に進まなかった弟の記六は、なにかと金を無心に来るような有様で、妹のきくは病弱で床に臥せる日々。また、「写真」と「洋画」の流行により、暁斎門下の描く絵にも時代の荒波が押し寄せていた。暁斎という巨星が墜ち、河鍋家と門弟のあいだで辛うじて保たれていた均衡が崩れつつあるなか、河鍋一門の行末は、とよの双肩にかかっていた。
幕末から昭和という激動の時代を背景に、鬼才・河鍋暁斎という偉大な父の影に翻弄されながら、絵師として自らの道を模索し続けた女性の一代記。引用元:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000085.000043732.html
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今後、大河ドラマに起用されそうな幕末から昭和の時代を生きた女性の一代記ですね!