ネジロウ社長の道脇裕(ひろし)両親(父母)と子供/娘も天才!発明王の子育て/教育法とは    

緩まないネジで有名なネジロウ社長の道脇裕(ひろし)さん。

その発想力やアイデア、そしてそれらを現実のものにする実行力、全てがすごいですよね。

実は、道脇さんの育った環境やご両親もすごくて、さらには道脇さんがお子さんにする教育もすごいんです!

今回は、道脇裕さんが両親から受けた教育、そして道脇裕さんからお子さんへのそれぞれの教育法についてまとめてみます。

道脇愛羽えこ(道脇裕ネジロウ社長の子供/娘)の発明も凄い!プロフィール/年齢/小学校も!

道脇裕(ネジロウ社長)さんの両親・父親、母親

道脇裕さんの父親は、大手の企業で研究所長をされている役員のようですね。

そして、母親は大学の教授で、物理学者であり専門は結晶学のようです。

ちなみに、道脇裕さんの祖父は前橋工科大学の学長されていました。

また、群馬大学の名誉教授も務められています。

前橋工科大学で調べてみると、歴代学長に道脇義正学長がいらっしゃいますね。

平成9年度から14年度まで学長をされていました。

現在は、すでにお亡くなりになられています。

道脇裕さんが受けた教育で特筆すべきことは、小学校5年生から学校に通う代わりに、母親の勤める大学の研究室に通い、日々、実験をしていた点です。

道脇裕さんは、小学校5年生で、みんなが同じように同じことを学ぶ環境に疑問を感じ、自ら学校から遠ざかります。

学校の授業は拷問みたいな感覚でした。先生からの説明がなくても教科書にほとんどすべてが書かれていて、その内容は1週間ほどで授業時間のなかだけで終えてしまう。すると、そのあとの1年間は時間が余るわけですが、椅子に座り続けなくてはならないわけです。これが苦痛で、隣の子にちょっかいを出したり、席を立って歩いたり、教科書全ページを迷路やパラパラ漫画にしてしまったり……。とにかくヒマでヒマで1秒が永遠のように感じていたのです。これはもう無理だと思って小学校5年生のときに、自主的に小学校を休学することにしました。引用元:https://www.frisk.jp/journal/michiwaki.html

そして、母親と一緒に母親の大学研究室に通われるのですが、そこで実験や研究を続けます。

一般家庭だと、子どもが不登校になったら親の会社に子どもをつれて行くこともできませんが、道脇さんの好奇心を満たす環境が、学校以外の場所にあったと言うことですね。

大学の研究所ですから、一般の家庭にはない実験器具や機器があるので、道脇裕さんにとってはワクワクされたのが、想像しただけでも感じられます。

実際にはもっと小さい頃から通っていましたが、小学校に通うのを辞めたので、そこにいる時間が自然と長くなりました。母は物理学の教授で、化学と物理の境界領域などを研究していたので、電子顕微鏡からビーカー、薬品類まで、理科の実験装置がひと通り揃っていたのです。それらを駆使して、モーターを作ったり、電気分解の特殊な装置を作って新しい現象を発見したりと、自分なりにいろいろと実験や工作をしていました。引用元:https://www.frisk.jp/journal/michiwaki.html

息子が小学校に通わないと言ったことに対して、両親ともに引き留めなかった価値観も素晴らしく、だからこそ今のアイデアマンの天才と称され、枠にはまらない道脇裕さんがいらっしゃるのですね。

中学校も通わずに、新聞配達や近所の家を回ってポスティングをしたり、年齢を偽って14歳からとび職をしたり、漁師もしたり・・・。

止めなかったご両親が凄いな、と思ってしまいます。

そして、後に大検を受けて、全科目合格。

しかし、日本の大学には通っていません。

知人が支援するから行ってみないかと、母親が以前共同研究していたというコロラド州の大学に留学をします。

が、5日間でそこも辞めてしまいます。

とにかく退屈で、面白くなかったそうです。

そして、現地でしかできないことをしようと考え、インターネットを使った無料通話システムを友人と作ったり、現地の研究者と親交を深めたりされたそうで、手持ちの500万円が底をつきるので帰国されたそうです。

支援された知人も、「道脇さんらしい」と、5日だけ大学に通った話を笑って受け止められてそうです。

結局、さまざまな出会いを経て、2万件を超える発明で特許を取得し、さらには、2009年に緩まないネジを開発され、会社を経ちあげられました。

ノーベル賞が手に届きそうな発明ですよね。

生きるとはなにか。なんのために生きているのか、ということは3歳くらいからずっと疑問に抱いていました。地球くらいの隕石が落ちてきて、みんながシュッと消えてしまえば、痛みも苦労も悲しみもないからそれがいちばんラクでいいんじゃないか、とか。極論を考えてみたりしたものの、現実としてはみんな存在して苦しみもがきながらも生きている。それでは、一体なんのために生があるのか、また死があるのか。生と死の境界線はなんなのか。生物と無生物の狭間はどこにあるのか。このように考えていくと、はてしなく疑問が出てきて、その答えを考える。考え続けるうちに、いろいろなことに気が付く。気付きを増やすうちに興味が湧き広がっていく。

教科書に載っていないことは誰も教えてくれない、誰も教えられない。だからこそ体当たり、手探り。前進しているか後退しているのかもわからない状態で飛び込んでいくしかない。それでも感覚を信じて行くべきところはとことん行く、そうすると、ある境界線が見えてくる。この一線をわずかでも越えてしまったなら戻ってこられなくなるという一線が。その先に未来があるわけじゃないってことが僕には感じられる。そういうことを多方面で追求して、感じて、境界線をつないでいって、在るべき領域を見出していきつつ、10代を過ごしていました。引用元;https://www.frisk.jp/journal/michiwaki.html

道脇裕さんの決めた道をサポートし続けたご両親の教育法が凄いなと思わずにいられません。

道脇裕(ネジロウ社長)さんの子供・娘

道脇裕さん自身にもお子さんがいらっしゃいます。

2008年に生まれた道脇愛羽(にこ)さんです。

現在は、14歳で中学2年生です。

道脇裕さんが子育てで大切にされてきたのは、「1人の人として扱う」ことだと話されています。

道脇裕さんは、娘さんが生まれた時や1歳の時でも、哺乳瓶を選ぶ時にも本人にそれぞれの商品のメリットデメリットを説明して、本人に選ばせるようにされていました。

そして、2歳の時には愛羽さんは初めの発明をします。

それが、足裏部分嵩(かさ)上げ体です。

ネーミングは大人がつけたのだと思いますが、その内容を見てもいまいち私には分かりませんでした!

その後も、実験や発明を続け、小学2年生で針を使わない「無針弧ンパス」を発明し、全国の発明コンテストで最優秀賞を得ました。

愛羽さんは自宅で母親がむいたりんごが変色しているのを見て、「なぜ、皮をむいた時はきれいなのに、そのままにしておくと色が変わるの」と思ったのだ。

このナゾの解明を夏休みの自由研究に設定。「皮むきりんごの変色因子の研究とスプレー型変色防止剤の発明」というテーマで研究を始めた。実験と検証を重ね、変色因子の原因を探った後、変色防止スプレーを開発。水あめ35グラムと炭酸水10グラムの混合物をスプレー容器に入れ、皮をむいた部分に振りかけると、およそ1日、変色を防ぐことに成功した。引用元:https://dot.asahi.com/aera/2017101300015.html?page=2

小学校4年生の夏休みの自由研究は、このリンゴの皮が変色しないスプレーの開発でした。

そして、小学校5年生では、誰にも楽に降りられる避難用の縄ばしご「斜楽」を発明します。

脳には 感情という人格的な部分もあるので、 いかに楽しませながら脳にアクセスで きるかがポイントになるでしょう。
いずれにしろ、オールマイティーな 子どもの脳は可能性に満ちあふれてい ます。その意味では、大人よりも格段 に優れているといえますね。引用元:https://el.shotoku.ed.jp/_userdata/s_hatsumei06.pdf

人間の可能性に対する絶対的な肯定感を感じますね。

道脇愛羽さんのこれからが本当に楽しみです。

まとめ

緩まないネジで有名な道脇裕さんが受けた教育、また道脇裕さんがお子さんに与えている教育観をまとめてみました。

天才、道脇裕さんは、自身の子育てでも子を認めるその天才的な感性を発揮されているのが分かりました。

未来のノーベル賞候補ですね!

これからの道脇親子の行く末が楽しみです!