牧師の奥田知志さんがETVで特集されていましたね。
今回は、奥田知志さんの経歴やプロフィール、ご家族、妻や子供のこと、またほうぼくのサポーターになる方法を調査してみました。
奥田知志(牧師)さんの経歴やプロフィール!
【テレビ】6/12(土)Eテレ 23時
ETV特集「生きていればきっと笑える時が来る-牧師・奥田知志」
北九州市を拠点にホームレスや生活困窮者の支援を続けるNPO法人「抱樸」。代表で牧師の奥田知志(57)の失われた絆を結び直そうと奮闘する日々を見つめる。
再6/16(水)24時https://t.co/gRgaBVonfu pic.twitter.com/dsM0644UpZ— JapanDocs (@jdocs) June 9, 2021
まず初めに、奥田さんのプロフィールです。
生年月日: 1963年7月15日
年齢: 57歳(2021年6月現在)
出身: 滋賀県大津市
座右の銘は: 無理しない、楽しない
職業: 牧師
肩書: 日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師
認定NPO法人抱樸理事長
公益財団法人共生地域創造財団代表理事
一般社団法人Colabo理事
北九州市立大学MBA
座右の銘は、「無理しない、楽しない」で、一見反対の言葉のように聞こえるこの無理しない、楽しないですが、実際はこの二つのバランスを保つのが難しそうですね。
奥田知志(牧師)さんの学歴
日曜日夜9時、お待ちしています。@tomoshiokuda 【牧師の裏部屋#27】ゲスト奥田知志さんに聞く!「ひとりも忘れない社会」を目指すために大切にしたいこと。自由に語る、何でも聞ける。導かれるまま生配信! https://t.co/a6GQwCiUKL @YouTubeより pic.twitter.com/JtCPoAJGCH
— 吉岡恵生|火消し牧師@高槻日吉台教会 (@Revyaslife) May 29, 2021
学ばれるのが好きな方のようです。
高学歴な牧師さんですね。
こちらが、奥田牧師さんの学歴になります。
- 22歳 関西学院大学神学部卒業
- 24歳 関西学院大学大学院修士課程修了
- 26歳 西南学院大学神学部専攻科卒業
- 27歳 関西学院大学大学院神学研究科博士前期課程修了
- 39歳 九州大学大学院国際比較文化研究所博士後期課程単位取得退学
滋賀県出身の奥田さんは、関西学院大学でまず神学を学ばれたんですね。
高校生から進学するときに、すでに牧師の道を目指していたということでしょうか。
そして、修士課程から博士前期課程、後期課程へと進まれています。
論文や取り扱われたテーマが気になりますね。
https://twitter.com/npohouboku/status/1401765726738862081?s=21
1988年にホームレスや生活困窮者の支援をするNPO法人「抱樸」(ほうぼく)を立ち上げられ、33年間に3600人以上の路上生活者を自立に導いてこられました。
その原点は、大学1年の時に訪れた大阪、釜ヶ崎。
大阪の釜ヶ崎は、日雇い労働者や路上生活者が多い地域ですね。
18歳の時に、路上生活者の生活支援を行ない、それから継続して支援されているようです。
本当にすごいですね!
奥田理事長は、福田赳夫元首相の「ひとのいのちは地球より重い」という言葉を引用し、命の大切さを訴え、過労死や若者の自殺が多いとして「日本では命より学校や仕事が大切だという誤った価値観が形成されてしまっている」と指摘。東京都台東区が2019年に台風の襲来で避難所を訪れたホームレスの受け入れを拒否した問題にも触れて「経済的格差が命の格差に拡大している」と話した。引用元:https://www.asahi.com/articles/ASP3675XRP36TIPE01D.html
本当に全ての人のことを考えてくださっていますね!
奥田知志(牧師)の家族や妻(嫁)子供は?
奥田知志さんの奥さんの名前は伴子さんです。
そして、子供は3人で2人の息子と1人の娘さんがいます。
学生時代に教会の青年大会で、牧師の娘でもある妻と出会い結婚し29年が過ぎた。 2男1女に恵まれ、北九州市でホームレス支援「抱樸(ほうぼく)」を長年二人三脚で活動する。「窮困経験者もやがて支援する側に回れる」を持論に夫婦はこれからも生きていく。
自身心洗われるような体験と素敵な夫婦に出会った。人物写真の醍醐味は、まさにこの瞬間にあると思う。引用元:https://takaokad.exblog.jp/28110514/
2017年の上記の文章に、結婚29年とありますので、2021年の現在、奥田知志さんと判子さんは結婚33年目を迎えられることになります。
判子さんの父親も牧師さんで、お二人は教会で出会われたんですね。
運命の出会い!
夫である奥田知志さんの活動や理念、価値観に賛同し、ともに行動されているのが伝わってきますね。
「松ちゃんと僕らの物語」その2出会い
noteにアップしました。松井さんは「僕のすきなおじさん」です。松ちゃんは6年間の野宿を経て、ついに自立へ。
これが苦難の終了か、はたまたさらなる苦難の始まりか。物語は続きます。
#note https://t.co/vsB5GB6hZ0— 奥田知志(NPO抱樸/牧師) (@tomoshiokuda) May 29, 2021
息子さんのお一人は奥田 愛基(おくだ あき)さん。
1992年(平成4年)生まれで、学生運動を行う団体「SEALDs」や「SASPL」を創設されました。
また、現在は一般社団法人ReDEMOS(リデモス)の創設者であり、代表理事として活躍されているみたいです。
たとえば放火で服役していて出所して、また放火した人を親は引き受けるという。緊急家族会議が開かれ、「うちが火つけられない?大丈夫?」といった話になる。
結局、引き受けたのだが、朝起きると、知らないおじさんがいるのも日常茶飯事だった。
「この人は新しい家族だから」と父親は平気な顔で言う。
とまどいながらも奥田は、「パン、何枚食べますか? あ、2枚っすか」といった応対をしていた。
「すごい教育受けてるね」と高橋も合いの手を入れているが、奥田は小学校まではそれが普通だと思っていた。他の家とは違うことがわかっていなかったのである。
酔っぱらった勢いで、一度、父親に「なんでそんなことやってんの?」と尋ねた。返ってきた答は、「僕な、人間が好きなんよな」だった。自分の父親は「ヤバいぞ」と奥田は思ったという。
「いいお父さんだね」と言われて、奥田は胸の中で呟く。「よく想像してみてくださいよ。家にマザー・テレサがいたらウザくないですか?」引用元:https://diamond.jp/articles/-/78953?page=2
小学生の時は、知らない人が朝起きたらいたという家庭環境だったと息子さんが話されています。
そして、自分の家庭環境が他と違うと感じ始め不登校も経験し、中学校は八重山諸島の鳩間島に単身いかれます。
その後、高校は島根県の浅利町の寮に入られたそうです。
自分の本能を信じて、間違ったことは間違っていると言える野生的な感じがする息子さんですね。
野宿生活者などをサポートするまさしくマザーテレサみたいな父親のことを「家にマザーテレサがいたらうざくない?」と言えてしまうところが、親子ですごいです。
ほうぼくサポーターになる方法
1988年に奥田さんが奥さんと立ち上げられた路上生活者の支援グループは、現在では社会的に孤立した若者の支援や窮困者の支援、また家族や子どもの支援に、障害者や刑務所出所者の支援にも広げられ活動されています。
これまでに
- 家に住めるようになった路上生活者は3680人
- 現在も継続してサポート中2000人
- 登録ボランティア数1775人
- 炊き出しで配ったお弁当の数は144910個
- 生活窮困者からの問い合わせの数142824件
- 厚生労働省などの会議に参加した数は11件
- 子どもから大人までの支援事業数27事業
されてきました。
社会に居場所がない。困っているのに、「助けて」と言える誰かがいない。生きることに疲れ果て、自分が困っていることにさえ気づけない。 ― 私たちの周りには、見えるところにも、そして見えないところにも、多くの孤立と困窮の現実があります。
私たちは、誰も取り残されない社会をつくりたい。誰もがありのままの状態で受け入れられる社会をつくりたい。「自己責任」と、家族の役割ばかりが大きくなっていく風潮の中で、何の心配もせずに「助けて」と言える社会をつくります。引用元:https://www.houboku.net/about/
「誰もがありのままで受け入れられる社会」って、本当に素晴らしいですね!
NPO法人ほうぼくでは、困窮者支援を継続的に協力してくださる「ほうぼくサポーター」を募集しています。残念ながら、昨年度の1000人目標は達成しませんでしたが、気を取り直して今年度1500人を目標に募っていきたいと思います。応援よろしくお願いします。#ほうぼく https://t.co/wyaxURkKCx
— 奥田知志(NPO抱樸/牧師) (@tomoshiokuda) April 22, 2021
https://twitter.com/npohouboku/status/1401857940672364546?s=21
ほうぼくサポーターになるには、以下のほうぼくオフィシャルサイトからサポーターになることができます。
寄付されたお金は、炊き出しのお弁当代や路上生活者の施設運営、また子どもの支援などに使われます。
まとめ
今回は、牧師の奥田知志さんの経歴や学歴、また家族についてや、ほうぼくの活動やサポーターになる方法をまとめてみました。
33年間も休まず、路上生活者の心の支えとなられていることに感銘を受けました。
素晴らしい生き方のお手本をありがとうございました!