澤田智洋のコピー/業績まとめ!電通コピーライターからゆるスポーツ/本出版へ

NHKあさイチに出演された澤田智洋さんのコピーがとっても素敵ですね!

そしてゆるスポーツを始めたターニングポイントは感動的ですね。

今回は、澤田智洋さんの過去の業績をまとめながら、電通のコピーライターとして活躍される中でゆるスポーツを発明し、ゆるスポーツ協会を立ち上げられたターニングポイントなどを調査してみたいと思います!

澤田智洋さんは帰国子女→慶應大学→電通へ

初めに、澤田智洋さんの略歴をまとめてみますね。

澤田さんは、日本で生まれた後生後3ヶ月で父親の仕事の都合で家族とフランスへ移住、そして1歳から7歳をイギリスで過ごされます。

その後、日本に帰国され小学4年生まで過ごされたのちに、小学5年生から再びフランスへ移住されます。

フランスでは初めは現地の日本人学校へ通われていたようですが、エッフェル塔を見ながらも家庭でも学校でも日本語しか使わない生活が「せっかくここにいるのに、もったいない!」と思い、フランスにある「イギリス学校」と呼ばれる中学校へ中学1年生から通い始めます。

幼少期にロンドンに住んでいたものの、その後の日本での生活で英語をすっかり忘れてしまった澤田さんは、このフランスにあるイギリス中学校で孤立してしまいます。

とても辛くてしんどい中学1年生を過ごされた後、中学2年生の時に英語の話せないパキスタン人の男子が転校してきたことで、学校が楽しくなります。

また、その時に、中学1年でのあの孤独な寂しい体験をマイノリティであるという理由でさせないぞ、と心に秘められます。

New Trier High School(ニュー・トライヤー高校)を卒業後に17歳で再び日本に帰国され、その後慶應義塾大学の政治学部に入学、卒業されます。

そして、電通に入社。

憧れていたコピーライターへの道は簡単ではなく、まずは1年目は営業職へ。

そこから、クリエイティブな部門への試験を受けられ、同期約140名の中からコピーライティングなどができるクリエイティブ部門へ20名の中の一人になり、コピーライターへとなられます。

しかし、1年経っても、なかなか目はでず、仕事も一人でさせてもらえない状態。

そんな中、人が足りないからと回ってきた炭酸水のコピーでコピーライターとしてデビューされます。

澤田智洋のターニングポイントは全盲の息子さんだった!

順調にコピーライターとして経験を積まれていく中で、ご結婚をされ、息子さんが生まれ・・・と順風満帆な人生・・・・。

と、思ったら、息子さんが3ヶ月の時に、目の病気があり全盲だということが判明します。

息子さんが生まれて幸せの絶頂から、全盲が判明し奈落の底へ。

命に別状はないものの、目が見えるようになることはないであろうという現実を、受け入れざるを得ませんでした。

終わった、と思いました。

その日から、仕事が手につかなくなりました。引用元:https://president.jp/articles/-/43598

このようにも話されています。

僕の主な仕事は、映像やグラフィックを駆使して、広告をつくることです。それってつまり、僕がいくら美しいCMをつくったとしても、視覚障害のある息子には見ることができないということ。

「パパどんなしごとしてるの?」と聞かれたときに、説明できない仕事をやるのはどうなのか。僕がやっている仕事なんて、まったく意味がないんじゃないか。

なにをすればいいんだろう? どう働けばいいんだろう? 32歳にして僕は、今まで拠り所にしていたやりがいをすべて失い、「からっぽ」になってしまったんです。引用元:https://shuchi.php.co.jp/article/8281?p=1

しかし、澤田智洋さんの人生のターニングポイントは、実は息子さんが全盲だと分かった息子さん生後3ヶ月の頃だったようです。

落ち込んで悲しむ日々・・・。

これまで「障害者」と呼ばれる方々と出会ってこなかったことに気づき、精神疾患から身体的な障害のある方まで3ヶ月で200人の方に会いに行かれます。

その中で、日本ブラインドサッカー協会の松崎英吾さんと出会われます。

そして、実際に「ブラインドサッカー」を体験する中で、澤田さんの価値観が音を立てて崩れていったそうです。

ちなみに、ブラインドサッカーとは、アイマスクをして見えない状態にしてサッカーをする競技です。

参加者は、アイマスクをつけて、柔軟体操をしたり、ボールを使ったグループワークをします。 暗闇に放り込まれて一気に不安が襲いかかってくる……と思いきや、それは予想していたような「視覚を奪われた怖い体験」ではありませんでした。むしろ「視覚が閉ざされている安心感」を得られる体験だったんです。

世界が、なにか「適切な情報量」にチューニングされていくような。引用元:https://shuchi.php.co.jp/article/8281?p=1

そして、この経験から澤田さんはこのようなコピーを創られます。

後日、僕は松崎さんに「OFF T!ME(オフタイム)」というネーミングを提案しました。 脳も目も疲れている現代人。それに対して、ブラインドサッカー体験は「目をOFFにする」という価値を提供しています、と。

その後、「OFF T!ME」はテレビや新聞に取り上げられ、今では企業や団体向けのチームビルディングやコミュニケーション研修として、日本ブラインドサッカー協会の収益の柱のひとつにまで成長しました。引用元:https://shuchi.php.co.jp/article/8281?p=1

オフタイム!このネーミングによって、日本ブラインド協会の収入の一つになり、この経験こそが澤田さんのターニングポイントになられました。

この仕事が、いちクリエイターとしても、息子の親としても、ターニングポイントになりました。「目が見えない」という、ある意味での「弱さ」が、見方を変えると新しい価値になることを目の当たりにしたからです。引用元:https://shuchi.php.co.jp/article/8281?p=1

人生終わった!と感じた瞬間もあった澤田さんですが、この経験があったからこその人生をその後、歩まれていきます。

でも、見えないということは、不便ではあるけど、絶対的に悪いことではない。「できないことは克服するのではなく、生かすことができる」ということを、僕は教えてもらいました。そして、コピーライターという自分の職能を使って、そのお手伝いができるかもしれない、と。

広告会社では、「強いものをより強くする」仕事が多い。だけど、もし「弱さ」にもっと着目したら。「弱さを強さに変える」仕事ができたなら。

目が見えない息子は、いわゆるマイノリティです。

でもマイノリティだからこそ、 社会のあらゆるところに潜んでいる不完全さに気づくことができるかもしれない。「ここ、危ないですよ!」 「もっとこうしたほうがいいですよ!」と、その穴を埋めることで、健常者にとってもより生きやすい世界に変えることができるかもしれない。

だからこそ、「弱さ」という逆風そのものを、追い風に変えたい。そしていつか、「弱さを生かせる社会」を息子に残したい──。

「マイノリティデザイン」──マイノリティを起点に、世界をより良い場所にする。このちょっと仰々しい言葉が、僕の人生のコンセプトになりました。引用元:https://shuchi.php.co.jp/article/8281?p=1

素敵な人生の指針ですね。

マイノリティデザイン!

ちなみに、澤田さんは、マイノリティデザインという本を執筆されています。

こちらの本は、楽天で購入することができます。

私もぜひ読んでみたいなと思いました!

こちらをぜひクリックしてマイノリティデザインをゲットしてくださいね!

澤田智洋さんの業績一覧!電通コピーライターからゆるスポーツ協会代表へ

では、ここからは、澤田智洋さんの業績をご紹介しますね!

広告の仕事

映画のキャッチコピーです。

なんの映画かわかりますか?

●伝説が、壮絶に、終わる。

●いらっしゃいませ。そして、永遠にさようなら。(スウィニートッド)

●ド派手なリベンジにしようぜ。(オーシャンズ13)

●今年はウィル・スミス以外、だれも年を越せない。(アイアムレジェンド)

CM

ローラさんが出演されているDMM  FXのCMです。

●「わかんない」

他にも、

●動画モリモリ

●お金も大事

●高知家

なども、作られました。

そして、こちらのコピーで2009年にはTCC新人賞を受賞されました。

●あなたが生まれなければ、この世に生まれなかったものがある。

スポーツ

●世界ゆるスポーツ協会

福祉

●見えない。そんだけ。

●世界は、見えないから面白い。

●サッカーなら、どんな障害も超えられる。

●切断ヴィーナスショー

●NIN_NIN

●障害攻略課

●041 FASHION

●特別支援学校の特別おもしろ祭

●#福祉現場にもマスクを

音楽

●エビメタ・バンド

●爺-POP

●世界ゆるミュージック協会

漫画

●キメゾー

●ないマン

会社のネーミング

日本を代表するイベントプロデューサー小橋賢児さんの会社名「LeaR」(リアル)

報道

香港の #まずは知るだけでいい展

まとめ

2013年1月に息子さんが産まれるまでは、電通のコピーライターとして働かれていました。

それが、息子さんが3ヶ月で全盲と診断されるに至り、この出来事が澤田さんのターニングポイントとなり、今では数えきれない福祉から音楽やスポーツと多様な仕事をされています。

その全てのコンセプトは、マイノリティデザイン!

人生は、何がきっかけでどう転がるか分からないから面白い。

渦中にいるときは大変だと思っても、後で振り返ったら、あの最悪だと思った出来事があったから今の自分がいると思える人生になっているのかもしれないですね。

素敵なご両親のもとに生まれた息子さんは、幸せだなと感じました。

素晴らしい学びをありがとうございました!