映画字幕翻訳家・戸田奈津子
日本で最も有名な映画字幕翻訳家の戸田奈津子さん。通訳としても活動しており、映画翻訳家協会の会長を務めていたこともあります。
数々のヒット映画を手がけており、時には「誤訳」と批判されることもありましたが、日本の映画界での功労者であることは間違いありません。
また、字幕翻訳家でありながら、トムクルーズはもちろん、リチャードギアやハリソンフォード、ロビンウィリアムズなど名だたるスターたちから通訳として指名される戸田奈津子さん。
今回はそんな戸田さんについて調べてみました!
戸田奈津子プロフィール
1936年(昭和11年)福岡県は北九州で生まれた戸田奈津子さん。まさに戦争真っ只中の時代、1歳の時に父は軍隊に召集・戦死してしまいます。その頃母は22歳、若くして未亡人になってしまい、実家の東京・世田谷へもどります。
その後も戦争は続き、昭和20年の東京大空襲があり、亡くなった父の実家である愛媛へ疎開します。
終戦したもののすぐには東京へは戻れず、昭和21年、10歳の頃に東京へもどります。
小学校の高学年となった戸田さんがその頃であったのが外国映画。食糧がなくて大変な生活をしているのに、スクリーンの中では別世界が広がっており、子供ながらに強い憧れを抱いたそうです。
中学生の頃からはひとりでも映画を見に行くようになり、近くの闇市で鯨のベーコンやピーナツを買って映画をみていたそう。
高校生の頃、ジョセフ・コットン主演の「第三の男」に出会い、東京中の上映される映画館に通い、50回近く鑑賞したそう!
「映画の字幕」という存在を意識し始めたのもこの映画がきっかけです。
私が高校生の時に観た『第三の男』という映画で「今夜の酒は荒れそうだ」という実にかっこいいセリフがあるんです。英語では何と言っているのか気になり、繰り返し観ながら耳をそばだてていると「I shouldn’t drink it. It makes me acid.」。直訳すると「私はこれ(酒)を飲んではいけない。これは私をacid(不機嫌)にするから」という意味です。直訳せずにセリフのエッセンスをうまく日本語に置き換えていて「これぞ名訳」と感動しました。
引用元:SANYO CHEMICAL インタビュー
ただ直訳すればいいというわけではなく、場面の秒数に合わせてその時代にあった日本語に翻訳する…
映画字幕翻訳は奥が深いですね!
その後津田塾大学の英文科へ進み、就職活動の頃、映画のクレジットに映る「日本版字幕 清水俊二」の文字を頼りに清水氏へ電話帳で住所を調べ、手紙を書くという何とも大胆な行動をとります。
ただ、その頃の映画の字幕は50代60代の男性たちが一手に引き受けている状況で、20人のプロの翻訳家がいて10人ぐらいしか字幕で食べていける人がいないような中、新卒の女子が入れるような環境ではなかったそう。
一旦は英文関係の秘書として第一生命に就職、ただ1年ほどで辞めてしまいます。
映画字幕翻訳家になることを諦めずに、フリーランスで翻訳の仕事を続ける傍ら、清水氏との親交を続け、その紹介で海外に輸出する日本のテレビ番組のシナリオ英訳などの仕事を続けます。
33歳の頃、やっと念願の字幕デビューを果たします。ただ、まだ一人前の映画字幕翻訳家と認められたわけではなく年に1〜2本の依頼を受けるのがやっと、という状況でした。
そんな時「地獄の黙示録」を撮影中のフランシス・コッポラ監督と出会います。ロケ地のフィリピンとの往復途中に来日しており、そのガイド兼通訳を務めます。そして「地獄の黙示録」が完成するとコッポラは戸田さんを字幕の翻訳家として指名し、この映画が大ヒットしたことで、字幕翻訳家のプロとして認めようという、業界の暗黙のお墨付きがついたそう。
その後は年間50作余りを手がけ、およそ1500作品の映画が戸田さんの翻訳で世に出されました。
トムクルーズが日本の母と呼ぶ理由
トムクルーズが来日する際は必ず戸田さんを通訳として指名し、会見の時には常にこの2ショットがお決まりとなっていますね。
トムは戸田さんのことを「日本の母」と呼び慕っているそう。
1992年にトムクルーズが初来日してから、その親交は30年にもなります。
そしてハリウッドスターの中でもトムは親日で来日頻度が高いからこそ、親しくなっていくのでしょう。
トムクルーズと戸田さんは誕生日が偶然にも7月3日で同じ。なので、誕生日とクリスマスにトムは大きなお花を贈るんだそう。素敵ですね。
また、日本にお歳暮という習慣があることを知ったトムが、ワインやハムを詰め合わせたお歳暮を送ったこともあるそう!
親日家のトムならではのエピソードですね。
そんなお付き合いを長年していることで、「日本の母」と戸田さんのことを慕っているようです。
戸田奈津子は結婚している?旦那・子供はいる?
戸田さんは結婚はしておらず子供もいません。
「You cannot have everything(すべてを持つことはできない)」という言葉が好きで、たくさんのものを捨てたと言います。
子供を持ったらこの仕事は両立できなかったとも言っており、好きなことを仕事として、その仕事を貫くためには結婚して子供を産むという体験は捨てなければならないものだったのでしょう。
また、戸田さんは
どんな好きな男と結婚したって30年も結婚したらいやになるでしょ(笑)。私は1年でも無理だと思う。でも仕事に関しては何十年やってもラブラブ。だからとても幸せです。
引用元:産経新聞
とも言っており、生きている限り仕事を続けたいとも語っていました。
戸田奈津子は目の病気?更には難聴も?
戸田さんは「加齢黄斑変性」という目の病気で左目の視力を失ってしまって、今は右目のみで仕事をしているそう。
目の「黄斑」という部分が加齢によって変性・つまり障害が起こってしまうことで視力の低下を招く病気です。
また、数年前より耳が遠くなってきたため、通訳の仕事が難しくなってきているようです
今回長年続いたトムクルーズの通訳から離れたのは、難聴が原因のようです。
ただ、記者会見の関係者席には戸田さんの姿があり、歩く姿はしっかりしていたそうで、お元気そうでよかったですね!
戸田奈津子の気になる年収は…?
これだけ数多くの作品を手がけ、ハリウッドスターや有名映画監督からもご指名を受ける戸田奈津子さんですから、さぞかし年収も多いのだろう…という想像を抱いてしまいますが、映画翻訳家としての仕事はなかなか難しいところがあるようです。
映画字幕の翻訳は、大体1本30〜50万円ほどだそう。
戸田さんの場合、全盛期で年間50本ほどでしたから、その頃は通訳の仕事も含めると、2000万円以上の年収はあったと思われます。
しかし現在は、月に1本ほどと公言されていますから、映画通訳の仕事で500万円ほど、それとは別に神田外語大学の客員教授や神田外語学院アカデミックアドバイザーという肩書きもありそちらの収入も考えると、年収1000万円ほどはあるのではないかと予想できます。
まとめ
戦時中に生まれ、戦後の大変な時代を生き抜きながらも、子供の頃の憧れからやりたいことを決め、自分自身で道を切り開いてきた戸田奈津子さん。
今回の
「トップガン マーヴェリック」で来日した際、トムクルーズの横に戸田さんの姿がなく寂しい気持ちを抱いた方は少なくないのではないでしょうか。
視力の低下や難聴も患っているということですが、末永くご活躍していただきたいですね。