映画監督・河瀬直美が暴行?パワハラ疑惑の河瀨氏の生い立ちや人柄を調査!

映画監督・河瀬直美の暴行トラブル?パワハラ?

今回週刊文春で記事にされたことで話題になっているのは、2020年に公開された映画「朝が来る」での撮影現場でのことだそう。

広島駅前での撮影の際、カメラで撮影している河瀬さんの撮影補助をしようと男性Aさんが河瀬さんに触れたところ、大声で叫びながらAさんの腹を蹴り上げた、というものです。

当初は蹴られたAさんが陳謝していたものの、河瀬監督がすぐに自分の非を認めなかったためにプロデューサーを務めていた月永氏が部下を守る形でチームで降板を申し出たようです。

週刊文春の取材に対しては事実関係を否定はしていないようですので、蹴り上げたのは事実と考えられます。

突然体を触られる事に驚いたとしても、プロデューサーと共に撮影チームが降板しているというのはこれ以外にもパワハラ的なことがあったと推測されても仕方ありませんね…

 

東大祝辞でのロシアに関する発言

さて、河瀬直美さんといえば、先日東京大学入学式で来賓として登壇・祝辞を述べていますがその内容が話題となっていますね。

「例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか? 誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか?

人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います」(東京大学HPより)

最初の一文のみが大きく取り上げられ、またひろゆき氏が「ロシアからお金を貰っているのか、頭が悪いのかどちらですか?」と皮肉ったこともあり炎上してしまったようです。

 

河瀬直美の生い立ち、経歴、学歴は?

1969年5月30日奈良県奈良市紀寺町で生まれました。

生まれた時には両親はすでに別居状態でその後離婚、河瀬さんは子供のいなかった大伯母夫妻に預けられました。

そして河瀬さんが小学4年生の時に、この大伯母夫妻と特別養子縁組をし、養子として育てられることになりました。

養親に大切に育てられていた河瀬さんですが、心の中は「なぜ生きているのだろう」「私はなぜここにいるのだろう」と自身のルーツに疑問を持ち続け、それらの経験を作品として生み出してきました。「につつまれて」「きゃからばあ」「垂乳女」「かたつもり」「塵」などで自身の生い立ちや養母・河瀨宇乃さんとの時間をプライベートドキュメンタリーとして発表しています。

河瀬さんは自身のルーツから10代の頃は「死にたい」と悩む日々であったようですが、心優しいく日頃から抱きしめてくれるなど愛情豊かな養母によく懐いていたようで、河瀬さん自身「かあさんといって思い浮かぶのは養母です」とも発言しています。

奈良で育ち、高校は奈良市立一条高等学校卒業、この高校はアナウンサーの山本健太氏、元サッカー選手の中原浩介氏・己浪学氏などが卒業しています。

偏差値も59~64とかなり高めで、県内有数の進学校のようです。

また、スポーツも盛んで、特にサッカー部は全国大会やインターハイ出場にも複数回出場などの実績があるようです。

河瀬さん自身は高校時代バスケットボールをしており、キャプテンとして国体出場の経験もあるとのこと。

高校卒業後は大学へは行かずに、大阪写真専門学校映画科へ進学します。

この専門学校は現在は学校法人・ビジュアルアーツ専門学校となっており、多数の映画監督や映像作品の関係者を輩出していることでも有名です。

大阪写真専門学校を卒業後は同校で講師をしながら映像作品を作成していましたが、1996年に退職し個人事務所を設立。

翌年1997年に「萌の朱雀」にて第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を27歳という史上最年少で受賞しました。

その後は2007年第60回カンヌ国際映画祭にて「殯の森」がグランプリを受賞、2013年第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門の審査員賞に選出されるなど、河瀬さんの作品は国際的に高く評価されています。

そして2020年東京オリンピックでは公式記録映画の総監督をされており、最近ではミュージシャンの藤井風さんが映画の音楽を担当されることが話題になっていました。

そんな河瀬さんですが、1997年に同じく映画監督の仙頭武則氏と結婚、カメラドールを受賞した作品「萌の朱雀」で仙頭さんがプロデューサーを務めたことがきっかけのようです。

しかし3年後の2000年に離婚、当時二人の間には子どもはいませんでした。

4年後の2004年には河瀬さんは奈良の同級生でNHKの職員と噂の一般男性と再婚します。この頃すでに30歳を超えており子供を授かることについて半ば諦めかけていたようですが、同2004年に34歳で男児を妊娠・出産。その頃から生まれ故郷の奈良の自然豊かな環境で生活し、味覚も大きく変わったようです。

 

河瀬直美の性格・人柄は?

上記のように心穏やかな養母に育てられ、自然豊かな環境で食事に気を遣いながら生活されているという河瀬さん。

ただ、国際映画祭へ作品を多数出品し、多くの作品が世界の国々で上映されています。その映画祭において各国のバイヤーに対して自身の作品をアピールし売り込んでいく姿に樹木希林さんは「おっかないから私が旦那だったら逃げちゃう」などと発言しており、押しの強さや自己主張の激しさはあるのかもしれません。

また、テレビ番組でも山田孝之さんへ手厳しい言葉を返す場面もあったり、自身の作品の主演女優に厳しい言葉を投げかけることもあったようです。

やはりこだわりを持って作品を生み出す表現者は一筋縄ではいかないようですね。

 

おわりに

以上、河瀬直美さんのニュースにまつわる話や河瀬さん自身の生い立ちなどについてまとめてみました。

映画業界・芸能界では女優への性的加害などハラスメントの告発が続いており、「映画監督有志」が声明を発表したばかり。

河瀬さん自身もコメントを出す立場でもあります。

暴行があったことは事実のようですし、暴行を受けたAさんの間に何があったのか気になるところではありますね

 

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